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江戸川ならまち店 当家の由来 奈良県奈良市下御門町43

wawa

2017-08-16

Tags: ocr-generated 奈良県 奈良市

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○当家の由来
奈良県問題が。
当家のある下御門町の地名の由来は「奈良町風土記」によると元興寺の
西南門のあった所で門前町として栄えました。
奈良に七御門と称する門(東御門・西御門・北御門・中御門・今御門
・高御門・下御門)あり東御門を除いた六御門は現在町名として残っている。
興福寺の東・西の門があった所が東御門・西御門である。東大寺の北・中
の門があった所が北御門・中御門である。元興寺の北門が今御門、中大門が
あった所が高御門、西南門などがあった所が下御門である。
「元要記」に聖武天皇神亀二年(725年)七朝之宮門建立星配常下御門
廉貞星(奈良坊目抽解)とあり、南都の七御門もこれにならったと見られる。
この町屋は明治初期に関家により建築され、代々呉服店(卸商)として営まれ
この格子は糸へんつまり繊維の仕事を業とする事を示す典型的な糸屋格子
(1本の太格子に二本の細格子)であります。
戦後、当家は奈良県繊維卸売株式会社代表を務めていた宮島家先代が
関家から譲り受け呉服卸商及び毛織物商を営み奈良県、京都府南部、三重県西部
大阪一円へと販路を拡大、一時は全国展開もしていました。
昭和六十年、呉服及び繊維需要低迷の趨勢により自主廃業致しました。
町屋としては築約百三十五年を経過し比較的に規模が大きく、建築史的に
みても色々な特徴を持っています。
- 昭和六十年、南側に通ずる高畑・杉ヶ町線の道路拡幅工事のため仕入れ客を
接待する二階建座敷棟、茶室、当主居住棟及び依水園の施主であった創建当主が
これに似せた見事な庭園は撤去されました。
現在残る家屋は母屋及び店部分で全体の三割五分程度ですが、太く大規模な梁、
箱階段、愛山の筆による竜と虎を描いた戸(応接間に通ずる)、柱のないガラス戸
(平成十四年の建具補強で柱補強)、ツシ二階、大正時代の洋館応接間及び
有名寺の礎石等見どころいっぱいの古い町屋です。
尚、ミセ蔵(現在、蔵乃間として利用)は純日本式、奥蔵は西洋式のトラス構造
となっています。
皆様のご支援で後世に保存してゆきたいと思っています。
(洋館横に奈良国立文化財研究所の調査分類によります古代瓦十五点を展示しています)
庭園
洋館户接
赤枠内を現在店舗として利用
●宝篋印塔=供養塔
当屋数内茶室前(現在道路となっている)に安置されていました。
奈良国立博物館の調査で鎌倉時代の作で規模も大、量感ありと判明し
仏教美術の展示に熱心な岡博物館の強い要請で奈良国立博物館旧誰と
新館の間の池の中洲に現在安置されています。
戸川

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2018-03-27 23:23 (0)
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