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ノ』 原
巨源は、江戸時代以来、公許の花街(歌養日
勤を伴う送の町)として発展してきた。寛永
十八年(一六回)、官命により、島原の前
にとどまり。
ばれてきたが、正式地名は「前新屋敷」という
和歌、俳等の入会も盛んて、ことに江中期
には良品原俳壇が形成されるほどの活況を呈した。
しかし、明治以降の』原は次第にさびれてゆ
き、現在では揚屋(今の料亭にあたる店)の
「年」、平置屋(大や芸装を派遣する店)の
「崎高屋」,それい島原入口の「大門」.これ
ら三箇所がわずかに往時の名残をとどめるもの
となっている。
平成十三年十一月吉日
「巨原伝統保存会
動くのでぐちのやなぎをみて
なっかーきやなぎのまゆの春風に
なびくほかげやさとのうぐれ 三月え
大垣蓮月(歌人」と九一~一八七五)