Monumento

棚田嘉十郎 平城宮跡

wawa

2017-06-02

Tags: ocr-generated 奈良県 奈良市

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ocr-generated 棚田 嘉 + 郎
*万延元年(1860)、現在の奈良市須川町に生まれる。明治の中頃、奈良公園で植樹の職にたずさわっている。
とき、観光客から平城宮跡の位置を問われ、荒れ放題の宮跡に保存の意を強める。明治35年(1902)、地元で
の平城宮跡保存の運動が高まると嘉十郎も参加、平城神宮の造営をめざしたが、資金面で行き詰まる。
以来、素十郎は、貧窮の生活のなか、自費で平城宮跡の保存を訴え、上京を繰り返し、多くの著名人から
帯同の署名を集める。そのようななかで、地元の有志・溝辺文四郎らは、嘉十郎の運動に協力し多くの援助
をおこなった。
明治43年(1910) 平城鎮都1200年祭が企画されると、嘉十郎は当時の知事に協力を得て、御下賜金300円をた
まわるなどして成功に導く。その後、大正2年(1913) 徳川頼倫を会長に念願の「奈良大極殿址保存会」が組織
され、大極殿に標石28基を配置するとともに記念碑を建てて往時の遺構を永久に保存することを決め、島十
郎の分がはじめて日の目を見ることとなった。しかし、用地買収が軌道にのりだして間もなく、嘉十郎が推
挙した篤志家が約束を破ったことの責任を痛感し、大正10年(1921)8月16日自刃。嘉十郎は、61歳の生涯を
閉じた。
苦難に満ちた嘉十郎の悲願は、支持者の努力により達成され、嘉十郎自刃の翌年、大正11年(1922)に国の
史跡として保護されることとなった
KATURO TANADA (1860-1921) A GARDENER. DEDICATED HIS LIFE AND FORTUNE
TO THE PRESERVATION CAMPAIGN OF THE SITE OF THE IMPERIAL PALACE OF THE 8TH
CENTURY CAPITAL OF JAPAN TANADA AND HIS SUPPORTERS EFFORTS WERE REPAID BY
THE APPOINTMENT OF THE PALACE SITE AS A NATIONAL HISTORIC SPOT BY THE NATIONAL
GOVERNMENT IN 1922 ONE YEAR AFTER HE COMMITTED SUICIDE IN DESPAIR
単影会は、棚田 嘉十郎 育と海辺文四角の平城宮跡保存につくした功績をたたえるため、昭和63年7月発足いたしま
した市民はじめ多くの方々からの御寄付により顕彰像の建立にいたりました。像は、棚田が左手に平城宮跡から出
土した瓦を持ちまで大極取姉を着差す姿です。
手成2年(1990)8月16日
棚田十郎育・溝辺文四郎翁顕彰会会長
奈良市長 西 田 米三
像制作者 江 里 敏明
©WAWA

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2018-03-28 09:59 (0)
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棚田嘉十郎 平城宮跡

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#<User:0x007f5677fe8df8> 棚田嘉十郎像 平城京跡

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