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大九谷震災地蔵尊の由来
「カニ三年(大正十二年)九月一日 午前十一時
五十八分関東全域にわたって大被害をも
たらした関東大地震は震源地を相模湾の
北西隅 あたりの海底と推測され、北海道、
沖縄にいたる地域でも人体に感じ、全世
界の地震計に記録をとめ、死者九九、ニ
ミー名。負傷者10ミ、セミニ名、行方不
明者四三、四七六名の大地震であった。
当時此の附近一帯は各所より発生した大
火災により一面火の海となり避難民は高
台(十三番)の安全地帯を求めて大丸谷道
路上を山に向って殺到した。其の数約三
百名、然し下方より吹き上る火瑠は物凄
く道路上は忽ち灼熱の地獄と化し前進を
はまれ止むなく右手の壁を草の根に
かまりつ、我先にと登りはじめたが後続
の避難民は火照にあおられ熱さに耐えか
ね、つじの灌木の中に身を伏せこらえ
たが後方よりせまる大勢の猛威には抗し
きれず、ついにニ+セ名が二度と帰らぬ
犠牲者となった。
震災五拾周年にあたり尊き人命を失った
方々の霊にたいし改めて冥福を捧げるも
のてあります。
昭和四十八年九月一日
石川町壱丁目町内会
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大丸谷震災地蔵尊の由来碑 |