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福は 氷室神社御由緒書
鎮座地 天理市福住町八一番地
祭神 闘編置大山主命
てまー「ガと
「あんがいのこと
*
額田大中彦命
畏くも当神社は国史弥載の都洋氷室神社にし
て御祭神の御功徳に対し旧考を福住永池
の宮又は部永安成は秘は氷室とも称水」
切に関する主装神として今を去ることも+w
百余年前允恭天皇三年字西洲正月下旬時の大
三田ノ宿浦勅を奉じて本邦氷室温輸の裏地
たる闘鶏氷室の傍に鎮座し給ひ雨未皇室の
神殊の外厚くむくは氷室神祭氷光神紫水池風
神祭いづれも官常に独り来りし最も尊き大神
にましますなり 間斜福大山主命は神武天
台全の王子神八井耳命の都介国造の後に
して 今日の機林水たみの前身としZとキ六百
有余年の昔人智未開の時天然水を貯へ真っ共
利用の道を発明して足を教へ給ひ或は凍豆腐
の製造を創始して今日あらしめ給う大神なり、
大野命は然る仁徳天皇にして献水の典例を
開かせ給ひし大神なり、新田大中彦命は仁徳
天皇の御弟にして貯氷の術と奏上して献水 せ
しめ給いし大神なり、人気第十六代仁徳天皇
の御ず 額田大中日子間野に狩し始。初
めて氷室を観これを赤面し帰りて来まに献ぜら
しより氷室の献進・水く国例となり年々朝に
氷と真ぎ爾後部を遂すと母に氷室と糸球の近傍
に設けられしも福住氷室は共根元の所なちを
以マ供進に預り来リしこと国史に詳なり、今
る神社後方室山(永室山の愛称)に 昔献来を
取りし由緒あるは辛荻之及び天然水を貯蔵せし
氷室跡は塔の森に比永の祖神たる闘描置
大山主今の墳墓地に古碑等歴然として存
せり、例祭は十月十五日にしてこの自由経深
き氷室山旧社の御旅所へ古式による神輿渡御
ありて最も殿態を極むるなり、
水室神社社務所
福住 氷室神社御由緒書 天理市福住町1841 |