Monumento

kawa_sanpo

2017/02/19

Tags: ocr-generated 京都府 京都市

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ocr-generated 粟田口刑場跡
「この地は、東国から都への交通の要衝であり、粟田口に位置してしまいました。さらに、明治8~
います。ここは、東海道の最後の難所日岡峠につづく高みで、粟田 10年にかけての日岡峠切り下げ
口峠と呼ばれていました。そのために、幾度となく掘り下げが行わ 工事と、昭和6~8年にかけての
れてきました。
京津国道改良工事などによって、
元文元(1736)年には、五条坂安祥院住持の木食正禅により粟田口 景観も一変しました。そのような
峠南の木橋が石橋に架け替えられるとともに、切り下げられました。中で、日岡擁壁には、旧舗石車石
文化年間には、車道に車石舗装がされ、人馬道には灯籠が建てられ や経王塔がはめ込まれて残され、
ました。幕府最後の慶応3(1867)年には、急峻な日岡峠を避け、そ また当町の南、日ノ岡朝田町には
の北に新道を付け替えました。その結果、この粟田口峠が日岡峠道 出土した供養塔の断片が名号碑や
の最高所となったた
以降は粟田口峠が日岡峠と呼ばれてい題目碑として復元されており、当
ます。当町内にある修路碑は、その歴史を物語るものです。
地の歴史を知るよすがとなってい
「また古来、都と郊外の境界に位置するこの地には、公開処刑場が 「 ます。
設けられていました。江戸時代には、粟田口(日岡)刑場として、
この地で繰、獄門、火刑が行われました。刑場を望む山裾には、刑
死者の霊を弔い慰め、供養する宗教者によって何基もの供養塔が建
てられました。明治5(1872)年には、この刑場跡地の後ろ山中腹に
粟田口解剖所が設けられ、短期間ではありましたが、近代医学の発
展に寄与した場所でもあります。
しかし、明治初期の廃仏毀釈や現代にいたる開発によって、供養
塔や経王塔などが破壊され、道路側溝の蓋石や石垣石などにされて
九条山峠町町内会・京都市
御仕置絵図(天保13 (1842)年頃)
『卵型単』(島野東文書」
京都市歴史自科能)
写し(久保 事)
***
「を」 (山科)

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2018-03-28 10:43 (0)
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