ocr-generated 草津川ずい道(トンネル)の由来
草津川トンネルは草津川が天井川であったことから出水に悩み
また通行にも不便をきたしていたことから、従来の堤防を登り
川越のルートから草津川にすい道を掘って、人馬・通行の便を
図ろうと計画し、どこの大路村戸長長谷庄五郎は明治7年
(1884) 8月4日付で中山道筋草津川ずい道開削新築事業
起工の儀願書を県令(知事)中井弘あてに提出した。
これが容れられて明治8年2月4日総工事費7368円4銭
9便を以て着工された。
翌明治7年3月8日の突貫工事で完成した。
構造はアーチ式煉瓦両側石積みで長さ2・6米幅4・5米
のずい道が造られた。
同年3月2日より旅人通行の事、車は3月3日より、馬車
荷車は4月5日より従来左方斜めに堤防にのぼって川を渡り
大塔井村側で右方へ下った。
中仙道の川越は廃止され、車馬の通行はきわめて容易になった。