Monumento

kawa_sanpo

2017/01/22

Tags: ocr-generated 群馬県 高崎市

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ocr-generated 倉賀野神社本殿
■むかしの倉賀野
上毛歴史社研所 桑原 稔氏
「次代に引継ぐ「上州の建造物」より
江戸時代における倉賀野は、中山道の宿場であったばかりでなく、
利根川を使った江戸通い物資運搬船の巡航終点河岸でもあったため、
大いににぎわった。利根川最上流の河岸であったことから、西上州を
はじめ中山道・三国街道を通じて信越方面へ送る物資輸送の水陸運転
の結節点として、近くは安中漁や高崎藩の外港として、まだ遠くは松
本藩・飯山藩など信州の大名や旗本など四十二家の回米河岸として、
十軒の米宿を数えた。その扱い数量は享保九年二七二四)当時、松
本藩の一万俵を筆頭に、合計五万八千俵に及んだ。このように倉賀野
は回米河岸としての性格の強い宿場であっだが、同時に広大な後背陸
地を抱えていたため、そこからの特産物の集荷地としてもにぎわった。
神社の由来
当神社は、その倉賀野宿のほぼ中ほどで、旧中山道の南側に鎮座す
る。縁起によれば、創建は崇神天皇四十八年、皇子城入彦命が東国
経営に当たり、境内に斎場を設けて松の木を植えて星形の石をまつっ
たことから始まるという。このような伝承から、当神社の創建は畿内
有力者の東国進出と深い関係があったものと想像され、近くには大
巻古墳・浅間山古墳など、国の指定を受けるような大古墳が存在する。
日本書紀によれば豊城入彦命は、上野国の一大家族上毛野君の祖とし
て書かれており、畿内家族が東国に進出する際に、祭祀の場所としだ
神聖な地であったとも想像される。
建築と彫刻
本殿の建築について見ると、形式は一間社流れ造りとし、屋根を銅
板葺きにしている。神社に残されている造営の際の型式記録によれば
嘉永六年(一八五三)四月、境内の社木を伐採して工事が始まり、元
治二年(一八六五)三月に上棟式を挙行、慶応二年(一八六六)九月
に選宮式を行ったことが明らかである。
当本殿の特徴は、服組みから軒回りに至るまで丸彫り彫刻を豊富に
デザインし、神社本殿としての威厳と豪華さを演出している。その中
で特に目を引くのは、南側妻部にデザインされた暦と風の丸彫り彫刻
である。鷹は羽を広げて獲物のウサギを襲おうとする躍動感あふれる
姿勢を演出し、鼻は木の枝に止まって物思いにふけっている様子を彫
り出している。鷹は物事を迅速に処理する決断力と何事も恐れないカ
を象徴し、嵐は聡明な判断力と知恵を象徴したものである。筆者はこ
れまで数多くの社寺建築を見てきたが、このような意味深い彫刻を拝
見したのは初めてである。
造営のJJ3
思えば当本殿の造営時期は、明治を迎える寸前にあたり、幕末動乱
期の真っただ中であった。彫刻を眺めていると、そのような激動の中
にあって、これだけの立派な本殿を完成させた宮司、高木出雲の信念
と心意気が伝わってくる。本殿の最も目立つ南側部に彫刻された鷹
と環は、まさにこの大工事を成し遂げた宮司の心を象徴しているもの
であろう。なお明治八年には拝殿も上棟し、現在見られる社殿が整っ
たようである。

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2018-03-28 10:54 (0)
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