Monumento

kawa_sanpo

2017/01/22

Tags: ocr-generated 群馬県 高崎市

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ocr-generated だま
4
えん

光仁天皇(七七ー~七八O)の御代、群馬郡の地頭群馬太
夫満行には八人の子がいた。末子の八郎満胤は、芸能弓馬の
道にすぐれ帝から目代の職をたまわるようになった。ところ
が兄たちは八郎を夜討にして、鳥隊池の岩屋に押しこめた。
三年後、八郎は龍王の智徳を受けて大蛇となり、兄たちとそ
の妻子眷族まで食い殺した。その害は国中の人々まで及ぶよ
うになったので、帝はこれを憂え、年に一人の生贄を許した。
やがて、小幡権守宗岡が賀番に当たる年、十六オの娘海津
姫との別れを共々に嘆き悲しんだ。都からやってきた奥州へ
の勅使、宮内判官宗光はこれを知り、海津姫と共に岩屋へ入
った。頭を振り尾をたたく大蛇にむかい、一心に観世音菩薩
を称名、琴を弾いた。これによって、大蛇は黄色の涙を流し
て悔い改め、神明となって衆生を利益せんと空に飛んだ。鳥
川の辺へ移り、「吾が名は飯玉」と託宣し消え失せた。これ
を見た倉賀野の住人高木左衛門定国に命じて、勅使宗光が建
てさせたのが「飯玉大明神」であるという。これが「飯玉縁
起」のあらすじである。
この話は、十四世紀半ばに編さんされた神仏習合を説く縁
起物語集『神道集』巻八所載「上野国那波八郎大明神事」
によく似通っているので有名である。「飯玉縁起」一巻は、
江戸初期の寛文十二年(一六七ニ)すでに存在していたとさ
れる伝来の社宝であり、唱導文芸『神道集」の研究にとって
も欠かせない貴重な資料である。
そして、今でも拝殿正面の向拝に、宗光が夢をかなでる彫
刻が、見られるのは興味深い。社殿の彫刻が、祀る神の伝承


縁起を物語っているということ自体が、全く珍しいからであ
る。(彫師は北村喜代松・石川兼次郎)-
「なお、この「飯玉縁起」は「神道大系」(神社篇二十五)
に収載されている。

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2018-03-28 10:54 (0)
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