ocr-generated 弁天島と天女
昔
橋
本
辺
り
とど
するが
昔、弁天島のこの辺りは砂州が新居の橋
はくさせいしょう」
まで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が
広がっていました。そんな 弁天島の美しさに誘わ
れてか、ある日 天女が舞い降りました。村人は大
変喜び、社を建てるからここに留まってほしいと
お願いしました。ところがどういうわけか、天女
は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。
それから長い年月がたち、この辺り一帯は 大き
な災害にみまわれ、洲崎の一部であった 弁天は湖
にとり残されて島となりました。その後、舞阪と
新居の間は渡船で行き来するようになりましたが
江戸時代の宝永六年(西暦一to 九年)今切渡 海
安全のため、この島に舞 天神社が建てられました。
人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切に
お守りしてきました。御祭神は「市杵島姫命」と
いい、海上・交通・家内安全、商売繁盛など諸願
成就の神として多くの人々に信仰されています。
なお、境内には 浜名湖弁天島を詠んだ正岡子規、
新殿山、松島や湖の文学碑があります。
ほうえい
いちきしまひめのみこと
まさおか しき
まつしまじっこ