ocr-generated 鈴鹿峠(378m)を越える初めての官道は「阿須波道」と呼ばれ、平安時代
の信和2年(856年)に開通した。
八二十七曲といわれるほど、急な曲がり道の連続するこの険しい道は平
安時代の今昔物語集に水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を明文
をとなえて呼び寄せ、山賊を書国したという話や、坂上田村麻呂が立鶴子という。
日時を捕らえたという話など山城に関する伝承が多く伝わっており、箱根性に並る
東海道の難所であった。
また鈴鹿峠は、平安時代の歌人西行法師に「鈴鹿山 浮き世をよそにぶり着て
でかになりゆく わが身なるらむ」と詠まれている。
江戸時代の俳人松尾芭蕉は鈴鹿峠について「ほうしんの初に越ゆる 鈴鹿山
この印を残している。
「鈴地国定公園、