Monumento

kawa_sanpo

2016/12/25

Tags: ocr-generated 三重県 亀山市

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ocr-generated さか

宿
東海道を近江から鈴鹿峠を越え伊勢に入った最初の宿場である。
貞和二年(一三四六)、京都醍醐寺三宝院の賢俊は伊勢参宮に赴いた折、「昼坂ノ下、夜垂水」と記してい
る(『賢俊日記』)。同様に応永二九年(一四二)中原康富が、同一年に将軍足利義量が参宮にあたり当
地で小休止し出立している(『康富記』『室町殿伊勢参宮記』)。
大永四年(一五二四)、連歌師宗長は「その夜は坂の下の旅宿」(『宗長手記』)とし、弘治三年(一五五七)
四月と八月には山科言継が大竹屋孫太郎宿に泊まっていること(『言継卿記』)などから、少なくとも室町時
代には宿として機能していたとみられる。
しかし、慶安三年(一六五〇)の大洪水で宿が壊滅し、翌年
現在地に移転し復興された。なお、かつての宿は片山神社下の
谷間にあり「古町」と呼ばれている。
ので
する代表
江戸時代には、東海道五十三次のうち四十八番目の宿場町と
して賑わいをみせ、東海道の難所である鈴鹿峠を控えて参勤交
代の大名家の宿泊も多かった。江戸時代後半には本陣二軒、
『伊勢参宮名所図会』より
本陣一軒、旅籠四十八軒を数える東海道有数の宿となり、『東
海道名所図会』には「此宿の本陣家広くして世に名高し(中略)
海道第一の大家也」と記されるほどであった。
しかし、明治二十三年(一八九〇)関西鉄道の開通により通
のん
歯のが
て北都数果
あれかえ
行者が激減したため宿場としての役割を終えた。
きな
*
するあい
平成十九年三月 亀山市教育委員会

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2018-03-28 11:42 (0)
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