Monumento

kawa_sanpo

2016/12/24

Tags: ocr-generated 三重県 亀山市

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ocr-generated 伊勢亀 山城
伊勢竜山城は、文永二年(一三六五)若山(竜山市若山町)に関実忠が最初
に築城し、元亀四年(一五七三) 織田信長により関盛信が追放されるまで、関
氏十六代の居城であった。ただし、関氏時代のうちに現在の位置に遷されたと
され、発掘調査においても戦国時代末頃の空堀が確認されている。
天正十八年(一五九O)岡本宗霊が入城後、新たに築城したとされ、この城
については、『九々五集』に本丸・二之丸・三之丸からなり、天守も建てられた
と記される。
また、三宅氏が城主の時、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾
忠晴が間違えて伊勢亀山城の天守を取り壊したと伝えられるが真偽のほどは定
かではない。
寛永十三年(一六三六) 本多俊次が城主になると亀山城の大改修に着手し、
東西七OOM、南北五OOMに及ぶ縄張りが確定する。城の外周は堀が廻り、
一部は谷をせき止めて水城とした。城内には本丸、二之丸、束三之丸、西之
丸、西出丸の曲輪があり、本丸には将軍家旅館として整備された本丸御殿、ニ
之丸には城主居館と藩庁を兼ねた二之丸御殿が設けられた。
滝山城の別名については唯一の出典である「九々五体」に姫を意味する「粉
蝶城」と記されている。
城主は人家がめまぐるしく入れ替
わったが、延享元年(一七四四)石
川総慶が城主となると、以後は石川
家十一代で明治維新を迎えることと
なる。
明治六年の廃城令によりほとんど
の建造物は取り壊され、現在は多門
格と石垣、土塁、堀の一部が残され
ているに過ぎない。多門櫓は、県下
で原位置のまま遺存する唯一の城郭
建築として昭和ニ八年に三重県指定
文化財に指定された。また、石坂門
は近年の発掘調査により石垣基礎の
一部が発見され歴史博物館前庭に移
設されており、わずかではあるが往
時の姿を偲ぶことができる。
伊勢角山城 平面图
「現在」
平成十六年九月建之
龜山市教育委員会

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2018-03-28 11:43 (0)
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