Monumento

kawa_sanpo

2016/11/23

Tags: ocr-generated 埼玉県 北本市

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ocr-generated 浅間神社 御由緒
ロ 御縁起(歴史)
当社は中山道に面し旧北本宿の北部にあり、江戸中期、富士山信仰の
北本市東間・六
広まりにより富士塚として築かれた山の上に社殿が建つ。
創建については、諸説が伝わる。一説は、万延元年(一八六O) 当時
別当を務めていた東土山室光寺(明治四年に廃寺)が、当社本尊であった
薬師如来像御開帳の折に、版木を刷って配布した「富士大権現略縁起」に
よるもので、崇徳天皇の御世、(ーニミ-一一四二)、武蔵国主であった
大納言藤原俊行公の霊夢に、最初は本地薬師如来の姿で、二度目は
木花開耶姫となって現れた祭神が、社地を示し、貴賤男女の繁栄の地となす
べきと言って東を指して飛び去った。その後、富士山を尊び直ちに社殿を
建立したという。
また一説は、『風土記稿』東間村の項に載るもので、「近村宮内村の名主
彦兵衛が所持する記録に、満業東新田富士浅間は伊奈備前守御代官の頃
(
一五九六 - 「六一五)、深井藤右衛門及び長楽坊・大乗坊勧請すとあり、
是当社のことなるべし」とある。ちなみに当社は、寛永年間(一六ニ四 -
四三)のころまでは満業領東新町と呼ばれていた。また、ここに見える
名主彦兵衛は、現在も宮内に住む旧家大島家の先祖で、元は北条家の家臣
で、岩槻城太田氏の城代家老を務めていたが、小田原落城の折、当地に
落ち延びたという。
しかし、その大島家の口碑には「当社は元は当家の氏神であったが、
このはなさくやひめ
満業の勝願寺の和尚の世話で鎮守のなかった当地に遷し祀った」とある。
明治六年四月、当社は村社となった。
ロ 御祭神と御神徳、
・木花咲耶姫命・・・安産、子育て
・獅子祭り(三月第四土曜日)
口 御祭日
・例大祭(初山大祭)(六月三十日・七月一日)
・元旦祭(一月一日)
・春祭り(四月二十九日)
う(十一月二十九日)・冬至祭(十二月冬至)

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2018-03-28 11:47 (0)
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