ocr-generated 北本市域の中山道
中山道はいわゆる五街道のひとつで、そのルートは江戸
日本橋を基点として埼玉県域を通過し、内陸山岳地帯を通
って、京都三条大橋を終点としていました。そして街道筋
には旅の宿泊、物流、通信を扱う地域の拠点として宿駅
江戸時代の中山道(中山道分間延絵図・東京国立博物館蔵)
(宿場)が設置され、県内では現在のJR高崎線にほぼ沿う
ように駅が設けられていました。
「宿駅は事情によってその位置を移動することもありまし
た。鴻巣宿はその例で、中山道開設当初は現在の市域の本
「宿付近に設置されていました。ところがこの宿場は文禄年
間(一五九三~九六現在のJR鴻巣駅付近に、徳川家康の
宿泊施設である鴻巣御殿が建てられたことなどを理由に、
移動したと考えられています。
満業に宿場が移って以降、最初に宿駅が設けられた本宿
周辺は、元の満業という意味で「元満巣村」と呼ばれてい
ました。それが元禄年間(一六八八~一七OW)になると、
もともとの宿場ということから本宿村へ変化しました。市
域は桶川宿と鴻巣宿の「間の宿」として、立場茶屋という
てんま
旅人の休憩所が設けられ、また伝馬なども備えられて宿駅
を補助的に支える地域となっていきました。
平成一九年三月
北本市・北本市教育委員会