ocr-generated 絵師 狩野法眼伊白の碑
狩野派の絵師である狩野法眼伊白は、江戸時代の後期で
ある寛政二(一七九〇)年に江戸に生まれました。狩野派の
絵を学び「法眼」の位を得て、二十二才の頃に水戸藩の奥絵
師山内養春の養子となり水戸藩主の水戸斉昭にも仕えまし
たが、まもなく旅心が生じ諸国行脚の旅に出ます。行く先々
で絵を描く生活を送った後、嘉永年間(一八四八~一八五四)
頃に桶川宿に居を定めました。十数年の創作活動をおこな
い、元治元(一八六四)年五月六日に桶川の地で七十四才の
生涯を終えました。
「この碑の文は、伊白の死後の慶応元(一八六五)年、比企郡
三保谷新堀(現・比企郡川島町)出身の詩人、石黒張備(綱)
が詠んだもので、伊白の生涯、彼の絵がいかに素晴らしいも
のであったか、死後浄念寺に埋葬されたことなどが記され
ております。