Monumento

kawa_sanpo

2016/11/20

Tags: ocr-generated 埼玉県 上尾市

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史上
財 市
跡定
上あ
尾お
郷三
けん
||
堂跡
ひかわくわ
氷川鍬神社(宮本町一丁目3)
二賢堂は、上尾宿に住んでいた山崎武平治破茂が、地元の有志とともに江戸の学個室上
人を招き、天明八(1788)年に建てた郷学「緊正義塾」の学舎の名称である。
雲室は、当時親交のあった江戸の朱子学者、林大学頭信敬らと相談し、中国・南宋の朱文
公(朱子)と、学問の神様と言われる菅原道真の二人の賢人を祀る意味で「三賢堂」と名付けた。
雲室が上尾宿で開塾したのは、学友の石井永良と、その門人
の上尾宿の山崎武平治茂による強い勧めがあったためであ
手ブロのみち
る。
「二買堂」扁額
累正義塾の学舎は破茂を主として、上尾宿や近隣の村の人々
の資金と労力によって建てられた。これは私塾ではなく郷学の
性格を持っていた。雲室は4年ほどで上尾を去るが、塾は研茂
が引き継ぎ、死後も続いたと言われる。
現在、氷川鍬神社には、林大学頭によって書かれた「三賢堂」
の扁額と、二賢堂の由緒が刻まれた「上尾郷二賢堂碑記」、
室上人について刻まれた「雲室上人生同碑」が残されている。
氷川鍬神社 と 上 尾 宿
氷川鍬神社は上尾宿の総鎮守とされ、江戸時代には大神宮や太神宮と呼ばれた。
神社の創始は、童子が警護する御神体の入った樽を、中山道の街道筋の人々が「飲踊り」
を踊りながら宿場から宿場へ送り継ぎ、最終的に上尾宿に鎮座したので祀ったという伝承が
ある。天明八年には、神社の境内に緊正義塾が建てられ、上尾宿の人々の教育機関として多
くの人々が出入りした。また、当時の絵図には、神社の周辺に本陣・脇本陣や問屋場など、
宿の主要な施設が集中しており、この辺りが宿の中心地だったことが分かる。
「江戸時代に宿場として整備された上尾宿は、明治時代になると高崎線や馬車の整備によっ
てさらに繁栄した。神社は、明治四一(1908)年の神社合祀で、ニツ宮の氷川神社のうち
女体社を合祀し、氷川鍬神社となった。
このように賑わいを見せた上尾であったが、宿の大半の建物や記録は、江戸時代末から明
治時代初頭にかけて起こった3回の大火や老朽化によって失われた。しかし、今でも当時の
名残を見出すことができる。屋根の上の艦様は、大火の際に屋根に施様のあった3~4
軒の家が火事を免れたため、その後火伏として流行したと言われる。また、通り向かいの家
の鬼瓦が、自分の家の方向を向いていると良くないため、鬼より強い鍵植様を載せたともい
われている。上尾宿内の呼称である上宿、中宿、下宿は後に上町、仲町、下町となり、この
町名や地区割りは、上町はそのまま、仲町は仲町と宮本町に、下町は愛宕として今でも残さ
上尾市教育委員会
れている。

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2018-03-28 11:48 (0)
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