Monumento

kawa_sanpo

2016/10/26

Tags: ocr-generated 千葉県 我孫子市

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ocr-generated やまいちはやし
山一林組(石橋製鉢)我孫子製糸所跡
工場の遠景
明治時代以降、殖産興業・富国強兵政策を進め
る日本にとって、生糸は外貨を稼ぐ重要な輸出品
でした。
千葉県は農業の近代化を図ろうと養蚕業を奨
励し、繭の生産が拡大しました。明治二十九(一
八九六)年に常磐線、明治三十四(一九〇)年
には成田線が開通し、我孫子は近隣の集散地にな
り、貿易港である横浜と結ばれました。
そこに目をつけた長野県岡谷市に本社を置く
日本有数の製糸会社「山一林組」は明治三十九(1
九〇六)年、我孫子駅南東に繭から生糸を作る「我
孫子製糸所」を設けました。工場には蚕の繭を収
める倉庫、蚕の繭をゆでる釜が二○○基(昭和初
期には三六〇基)、糸を作る操糸工場などが設け
られ、働く女子工員の数も三○○人を超えました。
我孫子に住んだ小説家 志賀直哉は小説『流行
感冒』の中で、製糸工場の女子工員がインフルエ
ンザで亡くなった、と記しています。
「我孫子製糸所は旧東葛飾郡唯一の器械製
場で、昭和六(一九ミー)年には千葉県下の生糸
生産高の実に七割を占めるに至りました。昭和十三(一九三八)年、世
界恐慌の余波の中、山一林組の経営は石橋商店(のち石橋製絲と改称)
に移り、戦後は化学繊維の普及から生糸生
産は縮小していきますが、我孫子製糸所は
昭和六O(一九八五)年まで生産を行って
いました。
工場の内部
昭和初頭の山一林組(石橋生緑)我孫子製糸所の建物配置と現在の街」
現在、当時を偲ばせるものは蚕を供養し
「た「蚕霊塔」を残すのみです。敷地跡の公
園車止めは蚕の繭をイメージしたものです。
--- 1
まゆだま形車止め
平成二十一年三月
我孫子市教育委員会
12

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2018-03-28 11:52 (0)
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