ocr-generated 藤川宿の一里塚
(ふじかわじゅくのいちりづか)
「一里塚」は、街道の「里ごとに土を盛り上げ、樹木を
植えで、道しるべとした隊のことである。
慶長九年(一六〇四)、江戸幕府は諸街道の整備の一つと
して、江戸日本橋を起点として、「更ごとに道の両側に
塚を築いて樹木を植えて目印とした。
樹木は、普通、榎であった。
「ところで、藤川の一里塚であるか記録によると、
「一、此宿より岡崎宿迄之間 壱里塚弐ヶ所
志ヶ所 木立 左無之 榎。
但、左右之塚 藤川宿地内」
と記してある。このような藤川の一里塚は、当時は街道
の左右に塚を作り、榎が植えてあったらしいが、天保年
間(一八三0~)頃には南側はすでになくなり、北側の榎
は昭和初期には枯れてなくなってしまった。
藤川宿まちづくり研究