国史跡江戸城外堀跡 赤坂御門の石垣と刻印
正面の 石垣 は、 江戸城 外郭の 赤坂門 跡で、 寛永 13年(1636)に福岡藩主 黒田忠之 によって築かれたものです。「 江戸名所図会 」によれば、江戸城の城門の中でも優れた縄張りであるとされ、 弁慶濠 と 赤坂溜池 の谷に狭まれた急峻な斜面地に設けられた城門でした。
門の構造は、 高麗門 と右折の位置にある 渡櫓門 からなる 枡形門 で、前面には土橋が設けられていました。その規模は、内法寸法20間2尺3寸、渡櫓台石垣高さ6間半(約12.8m) でしたが、明治30年(1897)に道路拡幅によって石垣の大部分が撤去されました。
現存する弁慶濠に面する石垣は、約15mの高石垣が残っており、その中には 黒田家 家紋の「裏銭紋」の 刻印 が数多くみられます。