朝夷奈切通
鎌倉七口 ノ一ニシテ鎌倉ヨリ六浦ヘ通ズル要衝ニ當リ大切通小切通の二ツアリ土俗ニ朝夷奈三郎義秀一夜ノ内ニ切抜タルヲ以テ其名アリト傳ヘラルルモ東鑑ニ仁治元年(皇紀一九〇〇)十一月鎌倉六浦間道路開鑿ノ議定アリ翌二年四月經營ノ事始アリテ執権北条泰時其所に監臨シ諸人群衆シ各土石ヲ運ビシコト見ユルニ徴シ此切通ハ即チ其當時ニ於テ開通セシモノト思料セラル
昭和十六年三月建 鎌倉市青年團
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鎌倉七口のひとつで、鎌倉から六浦ヘ通じる交通の要衝にあたる。大切通と小切通の二つがあり、この地の朝夷奈三郎義秀が一夜にして切り開いたとしてその名が付いたと伝えられる。東鑑(吾妻鏡)に仁治元年11月に鎌倉と六浦間の道路開削が決まり、翌2年4月から工事が始まった。執権北条泰時は現場で監督し、村人は土石を運んだと記録されている。そのためこの切通はその当時に開通したものと思われる。 坂