Monumento

明治橋

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2016/06/27

Tags: 沖縄戦 琉球王国 沖縄県 那覇市

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明治橋の由来
国場川は、沖縄本島南部(島尻)を西に流れて東シナ海(那覇港)に注ぐ県内随一の河川である。琉球王国 時代、この川を横断して国都首里と南部を結んだのは真玉橋(建立1522年)であった。
その時建てられた「真玉湊碑文」によれば、その年首里から南部一帯に至る道が敷設され、橋が架けられた。その目的は、一般の交通に供することと外的侵入の際に首里および周囲の軍勢が、那覇港南岸の垣花に集結できる態勢をつくるためであった。
那覇は、王国時代に商業都市として隆盛したが、明治12(1879)年廃藩置県により政治の中心が首里から移り県都となった。そのため那覇にも南部を結ぶ新たな橋が必要となった。
それまで那覇と対岸の垣花を結ぶ交通は、もっぱら舟に頼っていた。那覇側は渡地(わたんじ)と呼ばれていたが、その渡地と垣花を結ぶ橋が初めて架けられたのは、明治16(1883)年のことで、年号にちなみ「明治橋」と命名された。
この橋は木製で、御物城(交易品を収めた倉)より海寄りに架けられた。渡船賃は一人三厘・人力車六厘・駕籠一銭で、島尻の十四間切が架橋、運営した。
明治36(1903)年、橋の位置を御物城の手前、奥武山寄りに移し、南北二橋に架けかえ「北明治橋(長さ六〇間)」「南明治橋(長さ五〇間)」と呼んだ。
幾度かの改修を経て、本格的な架替が昭和15(1940)年に始まり、16年に北明治橋が、翌17年に南明治橋が完成した。北明治橋の位置は現在の橋とほぼ同じ位置であった。
しかし、この橋は昭和20(1945)年の沖縄戦 中に、日本軍の手により戦術爆破されたとされる。
戦後、米軍により橋は復旧されたが、南明治橋はその後の埋立で姿を消した。
昭和28(1953)年、旧明治橋(長さ101メートル)が架設された。下部は鉄筋コンクリート、上部は鋼板桁造りであった。
昭和47(1972)年、沖縄は本土復帰を果たし、急速に経済復興をとげてきたが、それにつれて交通量も増大し加えて塩害も受け、橋の老朽化が著しいため、昭和57(1982)年から架替に着手された。
新橋は、親柱に沖縄のシンボル旧首里城正殿の龍柱を据えるとともに、高欄、羽目板、歩道などにも沖縄の歴史遺産や自然を装飾して、表玄関にふさわしい橋にした。
昭和62年3月

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2016-07-02 23:19 (2)
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