ocr-generated 千葉周作修行の地
道
場
跡
利
千葉周作居宅跡・浅利道場跡・浦山寿貞墓所
幕末の剣豪、千葉周作は文化六年(一八〇九年十五歳の時
一家で陸前国(岩手県)荒谷村から松戸宿に転居、馬医者
を営む父の志衛門(幸右衛門)は浦山寿貞(うらやまじゅてい)
と称してこの参道付近に開業します。また、幼時から剣術
に長けた周作が入門した浅利七郎の道場が、宝光院と
等照寺の間にあったと言われています。
周作は又七郎の下でオ能を開花、「十二歳でスモ郎の師
江戸の中西忠兵衛に入門し、数年の後には免許皆伝を許
されます。のちにスモ郎の娘婿となり道場の後継者として
期待されますが、流儀に対する考えの違いから免許を返上、
離縁してしまいます。
修行の旅に出た周作は「北辰一刀流」を編み出し、神田に
「玄武館」を開きます。周作の合理的な剣法は評判を集め
多くの門弟を輩出するに至りました。
浅利道場の建物は現存しませんが、宝光院境内に文七郎
の供養碑がまつられています。
周作の父、浦山寿貞は天保二年(一八一年)に没、その墓所
もこの境内にあります。
「千葉周作修行え地」標柱の材木は旧松戸宿本陣の大黒柱です。