Monumento

kawa_sanpo

2016/06/11

Tags: ocr-generated 東京都 葛飾区

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ocr-generated 水戸橋 跡地
【水戸橋・橋台の石組・綾瀬川)
ここに積まれた石組は、江戸・明治時代から桁橋の水戸橋を支えてきた橋台を受け
継いだものです。この構造は、皇居(旧江戸城)内濠に架かる木造橋である平川橋に
名残を見ることができます。
水戸橋が本格的な機として架橋された年は定かではありませんが、江戸初期の寛永
年間(1624~1644)と考えられています。
水戸橋が架かる綾瀬川の開削については、「西方村旧記付図」(越谷市立図書館蔵)に、
寛永年間に内匠橋付近(足立区)から小菅(葛飾区)を経て、隅田川合流地点まで堀替えた
記録があります。
【橋名:みとはしの由来)
【水戸佐倉道】
地元に伝わる話によると、その昔、水戸黄門 前方に延びる道は、東海道など五街道に付属する水戸佐倉道です。
(光関)一行が旅の途中、小菅村に出没する妖怪を この街道は、日本橋を出発点とする日光街道の千住宿(足立区千住)
退治しました。その妖怪は、親をならず者に殺され、 から分かれ、常陸国水戸徳川家の城下をつなぐ道でした。途中、新宿
敵を討とうとした理でした。子理が退治されそうに (葛飾区新宿)では、下総国佐倉へ向かう佐倉街道に分かれました。
なった時、近くのお地蔵様が身代わりとなりました。 これらの街道は、土浦藩や佐倉藩等が参勤交代に使う重要な道でした。
その事実を知った光園は、後の世まで平穏となる」 享保10年(1725)八代将軍徳川吉宗が、大規模な狩りを小金原
ようにと自ら筆をとり、傍らの橋の親柱に「水戸橋」(千葉県松戸市)で行った際、水戸橋で下船して水戸佐倉道を通行した
と書き記したと伝わっています。
記録が残されています。
また、水戸橋下流の正覚寺には、身代わりと
監修 葛飾区小菅西自治会
なったといわれているお地蔵様が安置してあり、
お堂前の水舎には元禄10年(1697)の銘が
あります。
ロ葛飾区

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2018-03-28 12:08 (0)
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