Monumento

kawa_sanpo

2016/06/11

Tags: ocr-generated 埼玉県 さいたま市

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ocr-generated 城下町 岩槻
鎌倉時代から室町時代頃の岩槻は、奥大道と呼ばれる幹線道が元荒川(当時は荒川の本流)を
渡る地点にあたっていました。奥大道は鎌倉街道の一つで、関東の政治の中心・鎌倉から北関東・
東北地方方面へと通じる街道です。幹線道と水上交通路でもある大河が交差する岩槻の地には、
城下町の成立以前に町場が形成されていた可能性があります。
5世紀の後半以降、戦国の動乱が恒常化すると、交通の要衝でもある岩槻には岩槻城が築城さ
れ、岩槻城を中心とする都市形成が本格化しました。この頃には久保宿・富士宿・渋江宿などが
文献史料に現れ、市町などの町場の形成が進んでいました。城下町岩槻の成立です。そして、戦
国時代の末、天正5年(一五八七)頃には、城下町の周囲に大構と呼ばれる土塁と堀が築かれ、
岩槻城と一体化し、岩槻城主の領域支配の核であり象徴でもある城下町が確立しました。
江戸時代を迎えると、近世の身分秩序に基づき城下町が再編され、岩槻城大手門外の一帯を中
心に武家地(武家屋敷ゾーン)、街道沿いには町家(商工業ゾーン)が配置されました。また、
旧来の街道は将軍の日光参詣路でもある日光御成道として整備され、城下町はその宿場ともなり
ました。
武家地内は諏訪小路、裏小路などの街路名で呼ばれ、生垣や板塀で区画された広壮な武家住宅
が形成されました。大構の出入り口と、武家地・町家の出入り口は口と呼ばれ、門・木戸が設け
られていました。城下町に由来する文化財の一つ、時の鐘は、寛文1年(一六七一)、岩槻城主
阿部正春が、そうした口の一つ、渋江口に設置したものです。
町家では、「うなぎの寝床」などといわれる細長い区画に区分され、さまざまな業種の商家など
が通りに面して店を構えていました。町家の商家は岩槻城主や家臣の需要にこたえるばかりでは
なく、周辺農村に必要物資を供給する役割も果たしていました。町場の中心である市宿町では、
戦国時代以来の六斎市(毎月六回開かれる定期市。市宿では一と六の付く日に開かれた)も聞か
れ、特産の岩槻木綿の取引などでにぎわいました。
元荒川
日光御成道道中絵図に見る城下町の町並み
江戸時代後期の道中絵図に描かれ久保宿町と市宿町。町
境の木戸で区画された街道沿いに画家が軒を連ね。その手前
には大構、奥には岩槻嘘が描き込まれており、城下町岩槻の
景観が手にとるようにわかります。また、市宿町の市神、久
保宿町の本陣・平塚など、心や日光御成道に由来する要素
も見て取ることができます。
駅史料…「日光道中絵図」
(独立行政法人国立公文書館内風文庫所蔵)
岩槻城と城下町模式図
江戸時代後期の岩槻城・城下町絵図をもとに、現在の公共
施設などを表示したものです。

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2018-03-28 12:09 (0)
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