Monumento

kawa_sanpo

2016/04/23

Tags: ocr-generated 栃木県 下野市

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ocr-generated 史跡下野国分寺跡
4.下野国分寺の規模と変遷
下野国分寺は、発掘調査により、創建期(1期)以降、3回の改修期(II~IV期)があったことが判
明しました。
I期
(八世紀中頃)
この時期は、金堂や七重塔などの主要な建物を造営している時期です。金堂が
完成するまで、仮設の仏堂(金堂と簡房か)を金堂の東に建てています。
II期
簡厳が整い、 下野国分寺の最盛期ともいえる時期です。金堂や七重塔などの主
(八世紀後半
要な建物が完成し、それらを掘立柱堀で囲んで伽藍地とします。解の建替えから
~九世紀前半)
II-A期とII-B期に分かれます。B期の堀は、東と南辺を同位置で建替えますが、
西辺を約13.5m東に移し、北辺城西側の組折位置を西回廊・酸房の西紫筋の延長
線上にあわせています。掘立柱塀に囲まれた価暫地の外側は、寺院地溝で区画した
広大な寺院地が広がっていました。
II期
この時期に、主要堂塔の大規模な改築・補修が行われました。掘立柱塀から築
(九世紀後半頃) 地球に改築されます。解は、東西の位置はほぼ変わりませんが、北辺は45mほど
南に、南辺は北に9m移動し、伽藍地が縮小します。
IV期
(十世紀以降)
国分寺が衰退し終焉を迎える時期です。主要堂塔では、塔・経蔵は焼失、講堂・
回廊は倒壊・解体され、金堂を中心とした寺の機能だけが維持されていたようです。
その金堂も軒先が下がってしまい、支えをしていたことがわかっています。
寺院地講も埋まって区画施設は築地塀のみとなります。
中世には金堂跡に小さなお堂がつくられました。この頃から僧寺付近は薬師堂、尼寺付近は釈迦堂
と呼ばれたようです。その後、江戸時代後半まで人が住んだ形跡はありません。
下野国分僧寺伽藍地の変遷
寺院地と伽藍の規模(模式図)
単位:m

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2018-03-28 12:38 (0)
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