Monumento

kawa_sanpo

2016/04/11

Tags: ocr-generated 千葉県 野田市

Guide plate text

This content was transcribed by optical character recognition. Please cooperate with proofreading.

ocr-generated 川の史跡
持出し
棒出しとは、権現堂川と川から江戸川が分かれる流頭部に、川の両岸から丸太棒を数千打って川幅を
狭め、権現堂川から流れてくる洪水を江戸川へ入りにくくしたもので、関宿側は東棒出し、幸手側は西棒
出しと呼ばれていました。
棒出しが造られたのは天保年間(1830~43)で、松伏村の豪農石川民部が農民より金銭を集め、幕府
に差し出して工事をしてもらったと言われています。棒出しが造られたことによって、江戸川沿いは洪水
から守られた反面、逆川沿いの関宿周辺やその下流の利根川沿川では水害を被ることになりました。
明治8年(1875)と明治17年(1884)に、棒出しは玉石積みに改築されたが洪水で破壊されたため、
明治18年(1885) 角石積みに改良されました。その後、明治31年(1898)にセメントを使った角石
張りに改築され、棒出しの間隔は巾9間強、約17mにまで狭められました。
明治43年(1910) の大洪水を契機に行われた利根川、江戸川の本格的な改修工事によって、江戸川の
流頭部が約1km上流に付け替えられ、権現堂川も締め切られました。また、昭和2年(1927)に関宿水
堰及び開門(通称関宿水閘門)も建設されました。棒出しは、これらの工事により昭和4年(1929)に撤去
されました。
樺出しに使われた角石は、文献及び完員からも新して栃木県の岩山で切
り出されたものが、渡良瀬川を船で下って運ばれたものと思われます。
岩船山周辺で切り出された石は岩舟石と呼ばれ、岩買は火成岩(安山岩調
角礫凝灰岩)で、加工しやすく耐候性に優れています。このため、古くから
石垣や土留め用のけんち石及び土台用の切り石として利用されており、明
治44年からの利側の改修工事では、消良川を中心に大量に使用され
ました。
棒出しが撤去された後の角石は、江戸川中之島公園と関宿城博物館に展示
してあるほか、五間町の善照寺鐘付堂石垣や関宿町の旧関宿小学校石垣な
どに使われています。
■江戸川
「極出し」平面ミ
現在地
出し
画標出し
「-123月

Texts

monumento
2018-03-28 12:39 (0)
monumento

Comments/Photos

Footprints

0 footprints lefted here.

Embed tag

Guide plate Tour

Spots near

smiley (2018/02/10)
Tags: auto-translate 千葉県 野田市
kawa_sanpo (2016/04/11)
Tags: ocr-generated 千葉県 野田市
kawa_sanpo (2016/04/06)
Tags: ocr-generated 千葉県 野田市
kawa_sanpo (2015/05/30)
Tags: 1650 幸手市教育委員会 清保善士 埼玉県 幸手市