ocr-generated 四世鶴屋南北の墓
所在地 墨田区業平二丁目十四番九号 春慶寺内
南北は「大南北」と尊称された江戸時代の狂言作者です。宝五
年(一七五五)に江戸日本橋の紺屋形付職人伊三郎の子として生ま
れ、幼名は勝次郎(または伊之助)でした。はしめはどれも
事をしていましたが、生来の芝居好きから安永五年を経
言作者初代桜田治助の門に入りました。翌年には、お地
冠初雪」という作品に桜田兵蔵の名で作者のための
名を連ねました。
立作者(筆頭作者)となったのは、享和元年 )といわ
れていますが、出世作は文化元年(一八〇四)河原崎座で上演の「天
三徳兵衛韓噺」です。尾上松助(のちの松緑)扮する徳兵衛の水中
早替りの妙技とあいまって、七十日余りにわたって大入り興行とな
りました。
「文化七年(一八二)には四世鶴屋南北を襲名し「於染久松色読
販」「東海道四谷怪談」なと庶民の生活を克明に、時には大畑に指
いた傑作を次々と世に送り、人々から圧倒的な支持を得ました
政十二年(一八二九)十一月二十七日、十五歳でしました。
「記録によると、墓石には正面あわせ等の処置が
平成二十年三月
要は教育まれたな