ocr-generated かつらがわ
桂川市 周屋敷跡
所在地 中央区築地一丁目10番地域
にあきら
蘭方医桂川家は、初代前筑(一六六一~一七四七)が六代将軍徳川家宣に仕
えて以来、代々幕府の奥医師をつとめ、多くが法眼に叙せられています。
「この地域には、東筑が正徳元年(一七一)に拝領して以降、幕末まで桂川
家の屋敷がありました。
四代市周(一七五四?~一八〇九)は、名を国端といい、桂川家歴代のなか
でも特に広く知られています。杉田玄白や前野良沢らに蘭学を学び、若くし
て「解体新書」の翻訳事業に参加しました。また、寛政六年(一七九四)には幕
府医学館教授となるなど、幕府にも重んじられていました。
西洋事情にも造詣が深く、安永元年
(一七七二)からは、江戸に参府したオ
ランダ商館長一行と毎回対談するな
ど、その海外知識を大いに広めまし
た。また、ロシア使節ラクスマンが
送還してきた漂民大黒屋光太夫らを
尋問し、「漂民御覧之記」や「北楼聞略」
などを著しています。この他にも、多
くの翻訳・著作があり、江戸蘭学の興
隆に大きく寄与しました。
。
尾張屋清七板「京橋南築地鉄抱洲絵図」(部分)」
んりゅく
平成十七年三月
中央区教育委員会