ocr-generated 駿府九十六ヶ町のうち
しもうおちょう)
「この地は用宗方面から運ばれる魚介類を扱
う商人が集まり、慶長年間に城中御用の魚問
屋が置かれました。城から離れているため、
その一部が金座のあった付近に移されて土魚
町、この地は下魚町となり、地元の人々から
はそれぞれ「かみんだな」「しもんだな」と
呼ばれました。また江戸時代の地誌によれば
下魚町には塩問屋が集まり、塩屋町とも呼ば
れていました。元禄五年(一六九二)の「駿府
町数・家数・人数覚帳」によると、当時の下
魚町の家数は三十八軒、人数は二百三十六人
でした。
町の南側には宝台院があり、江戸幕府二代
将軍徳川秀忠の生母西郷局の菩提所となって
います。
「下魚町は昭和三十年(一九四五)に常磐町に
編入されました。