Monumento

hanacoco

2015/12/24

Tags: ocr-generated 東京都 墨田区

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ocr-generated 伊藤なキス
ほぼ跡
所在地 墨田区江東橋三丁目十四番
この地には、明治時代の歌人で小説家としても活躍した伊藤左千夫の牧舎と住居がありました。
左千夫(本名幸次郎)は、元治元年(一八六四)八月十八日、上総国武射郡殿台村(現在の千葉
県山武市)に生まれました。明治十八年(一八八五)から、東京や神奈川の七か所の牧場に勤めて
酪農の知識を深めました。明治二十二年ニ十五歳のとき本所区茅場町三丁目十八番地(現在地)の
牧舎と乳牛三頭を購入し、四畳半一間と土間のついた仮小屋を建て、乳牛改良社(茅の舎、デポン
舎とも称した)を開業しました。随想『家庭小言』には開業当時の様子について、毎日十八時間の
労働をしたことや、同業者の中で第一の勤勉家という評を得たことなどが書かれています。
左千夫が歌の世界に入ったのは、明治二十六年ごろ同業の伊藤並根から茶道や和歌を学んだこと
がきっかけでした。明治三十三年三十七歳の頃には正岡子規の門下生となり、根岸派の有力な歌人
として多くの作品を発表しました。また、子規没後の明治三十六年には、機関誌『馬酔木』を創刊。
明治四十一年には後継誌『阿羅々木』(のちに『アララギ』と改題)を創刊して根岸派、アララギ
派の中心となり、島木赤彦、斎藤茂吉など多くの歌人を輩出しました。小説では処女作でもある『野
菊の墓』が知られています。この作品は政夫と民子の青春、悲恋を描き、近代文学の名作として読
み継がれています。
この地は低地で湿地が多く、水害がたびたび発生しました。写生文『水害雑録』には、明治四十
三年八月十二日の水害時における家族や乳牛の避難といった当時の苦労が記されています。経営の
問題から、明治四十五年に南葛飾郡大島町(現在の江東区大島)に牧舎を移し、程なくして茶室「唯
真閣」(現在は千葉県山武市に移築)を残して家族とともに転居しました。大正二年(一九一三)
七月三十日 五十歳で没しました。
隣に立つ「よき日には」の碑は、昭和五十八年(一九八三)に「伊藤左千夫記念会」が建てたも
のです。刻まれている歌は明治四十一年十月『阿羅々木第一巻第一號』の「心の動きニ」に掲載し
た一首で、家で遊ぶ子供たちの様子を詠んだ作品です。親として子供に寄せる左千夫の思いがうか
がわれます。
平成ニ+四年三月
MB 区教育委員会
左千夫と牛(本所 茅場町 牧舎にて)
本所 茅場町の牛舎(左から3人目が左千夫)
岡 龍撮影 明治41年(1908)頃
上下2点とも資料提供 山武市歴史民俗資料館
キャッシング

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2018-03-28 12:57 (0)
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