ocr-generated たか
しましゅう はん
高島秋帆の墓 国指定史跡
みな
とくまるがはら
秋帆、1798~1866年(寛政10~慶応2)。長崎の人。諱は茂敦、通称四郎太夫。秋帆は号。幕末の砲術家。アヘン戦
に洋式砲術の採用を建議し、1841年(天保12) 武州徳丸原(板橋区高島平あたり)で洋
式砲術演習を行なった。
翌年、最活躍歳のいわれなき訴えによって投獄され、のち追放に処せられた。ペリー来航とともに許されて、1857
年(安政4)富士見御宝蔵番・兼講武所砲術師範役を命ぜられな
とうりょくう
斎藤緑雨の墓
しょうじきしょう だ ゆう
げ さよう
そく じん
緑雨、1867~1904年(慶応3~明治37)。三重県の人。名は賢。別号を正直正太夫。明治時代の小説家で、戯作風の
「油地獄」「かくれんぼ」などで文壇に名をなした。
かたわら種々の新聞に関係して文筆を振るう。終生妻子を持たず、俗塵に妥協することなく、文学一筋に生きた人
てある。業場外・幸田露伴とともに「めざまし草」の匿名文芸批評執筆者の一人で、樋口一葉の「たけくらべ」を純粋し
た。 墓碑銘は幸田露伴書
きんりゅうざん だいえん じ
「曹洞宗 金龍山大円寺
文京区向丘1-11-3
- 郷土愛をはぐくむ文京区 -
文京区教育委員会
平成8年3月