Monumento

kawa_sanpo

2015/12/20

Tags: ocr-generated 茨城県 古河市

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ocr-generated 古河藩 野渡 御蔵跡
よしかわ
思川・巴波川流域で、古河藩に属した村々(現野木町野渡および小山市西部)は
中郷と呼ばれ、その村々からの年貢米を収納した蔵を御蔵といった。古河町から
の地続きの野波村に置かれていたので、野渡御蔵という。
一野渡御蔵の置かれていたのは、古河市雀神社の北側の地域で古河城の北東に位
置し、明治期の河川改修以前は渡良瀬川と思川・巴波川の合流点に近かった。
御蔵が最初に築造された時期は不明であるが、寛文四 - 五年(一六六四-六五)
に領内の検地が実施され、年貢米の管理が強化されるから、十七世紀の終わりご
ろまでには蔵がおかれていたらしい。
巴波川の上流にある下初田村では、延宝四年(一六七六)の年貢納入にたいして
出された名主あての講け取り手形には古河新蔵 重右衛門」という者がみえる。
また同じ上流の下国府塚村の元禄十一年(一六九八)の年貢納め報には、米ニー九
体が大蔵納めとなっていて、下役人が請け取り手形を四枚受け取ったと記され
ている。これらの「新蔵」大蔵は、はっきりしないが野渡御蔵を指すようである。
蔵数とその規模・敷地等も時期によって一定せず、はっきりしない。宝暦九年
「七五九)八月の中解の米納高は一万四六ニ儀・大豆四七二儀余であったから、
これを収納する蔵は「O様前後を必要とすることになる。なお、古河藩の蔵はも
河市中田と立崎にもあった。
「享保三年(一七一八)からは、藩の蔵役人の下で年貢米の収納管理にあたった下
役人をそれまでの村から出された村抱えから藩抱えに変更して年貢米の審理に当
たらせた。
宝暦九年には、蔵米の審理に当
たっていた下役人の年貢計量の不
正指摘と年貢の減免を要求した中
韓一揆が起こっている。
明和五年(一七六六)十月、巴波
川上流の古河藩領下河原田村ほか
ミヵ村が、年貢米やその他の荷物
新波河岸で小上げをしないで、
接野波まで運搬しているので、
船荷が減少して経営が成り立たな
いと新波河岸問屋が訴えている。
れは、このころ思川・巴波川流
域の村々の多くが古河藩に属し、
年貢来が野渡御蔵へ運報されてい
たことを示すものである。
文化期一八o - 「t)の宿駅
のようすを表した「日光道中分間
延絵図」では、「領主蔵屋敷」とあ
り、十数棟の建物が描かれている。
(日光道中分間延絵図」東京国立博物館蔵)
年 城 こい船 直 を 三川郷 正
野木町 教 育 委 員 会
平成三年三月二十五日

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2018-03-28 12:59 (0)
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