ocr-generated 圓山大慶寺の由来
日蓮聖人京都遊学往復お立寄りの霊跡
今を去る七百余年前、鎌倉時代建長五年
初春、(二五三年)日蓮聖人が京都比叡山
へ進学の断往復お立寄りになって、道
妙園の両末端を説法教化され、題目のご本
専と毘沙門天王を授押され、記念に一本の
松をお手植えされました。この松は「久遠の
松」と命名されました。
道隠・妙圓の名は、聖人より授けられた法
号で、後年、両夫婦は自宅に法華堂を建立し
て、当山の基を開きました)。両夫婦の、墓
は鎌倉時代の作で、大宝塔の下部に安置さ
れています。圓妙山の山号は、道夏・桃夏両
夫婦の法号よりとり、大慶寺は、法華経済布
の大慶にちなんで寺号としました。
当山は東海道有数の日蓮町国人直接お立寄りの
霊跡であります。現在の本堂は、間口、
行十間(十八メートル)四面で昭和二年完成
したものです。
●久遠の松(県指定天然記念物)
日蓮聖人お手植の松で、樹令b00余年の黒松。松
としては最高の年で、全国まれにみる大木で天然
記念物に指定されています。高さ二十五m・根元周囲七m
境 内 の建築物
庫裡は相良城(田羽公)の御殿を天明八年(一七八
八年に移築したものであり、境内には鐘楼堂・
三光堂・弁天堂・浄行堂がある。
当山は徳川期より明治前迄は、「さむらい寺」と層
せられ、田中城主(皿万石姫君病気平癒の功により
祈願寺とされました。境内には、田中城主 太田温津
守、田中蒲姫君、同薄漢学者石井縄斎先生(日知
創立者)国学者熊沢性則先生を初め、家老高瀬重富
等の墓碑」に大塚竜石蔵庫等地方文人の墓石があります
宝物・文
願満祖師御雰像・日蓮実御本尊・加藤清正公書
徳川綱宗公書・田中藩士の書画・地方文人の古文
書・化財等、多数を保存している。