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中央区
歴史と文化の
説明板
「桃 木 屋跡
おくにちます
「慶長12(160)年、福岡藩は、この付近に藩内の穀物を量る柄の製造、検査を
行う概木屋を設置しました。年貢米を「納め柄」、家臣の俸禄給を「御国町㈱」と
呼び、領内に二種類の棚を定めていました。その後、寛文9(1691)年に江戸幕
府は各藩まちまちの柄の大きさを統一し、「京」を公定標と定めました。福岡藩
はこれに従い「京」の使用を領民に命じましたが、領内の一部では「納め棚」が
幕末まで残っていました。
現在地
ってい
柳木屋町
寺運ん
明治24(1891)年の福岡市全図に「㈱木屋町」が読み取れる。(資料提供 福岡県立図書館】
央区役所 企画課 管理番号122R-S-18