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歴史と文化の
説明板
貿廣益幹屋敷跡
(1630年~1714年)
貝原益軒は、藩医貝原寛斎の五男とし
て城内で生まれ、幼い時から神童とい
われ、19歳で福岡藩2代藩主黒田忠之
の納戸役として出仕しました。その後、
27歳の頃に3代藩主黒田光之に、その
能を見い出され、地の激と知行報
聞)200石を賜りました。その後、益軒
は学者としての業績を残し、『筑前国続
風土記』、『養生訓』、『大和本草書」等、
60部207冊を著わし東洋のアリスト
テレスとも言われています。
益軒と東軒夫人の夫婦の墓は、銅像と
ともに金龍寺(今川二丁目)にあります。
貝原益軒(元禄7年 狩野昌運筆)
【写真提供 個人蔵】
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