ocr-generated 常陸太田市指定史跡
永田勘衛門(円水)の墓
永田家は、甲斐国(山梨県)出身の鉱山開発に携
わった技術者で、永田茂衛門、勘衛門父子が水戸
に来住したのは、寛永十七年(一六四〇)水戸藩初
代藩主徳川頼房の時代である。
久慈郡町屋(市内町屋町)に住み、町屋金山をは
じめ領内各地の金山の開掘、利水・土木事業などに
尽力し、水戸藩産業の発展に貢献した。
父茂衛門は万治二年(一六五九)に、子勘衛門は
元禄六年(一六九三)に没したが、勘衛門はその功
により二代藩主光圀(義公)から円水の号を与えら
れ、久昌寺墓地内に墓所を与えられた。
父子二代にわたる事業のなかで、上水道では水戸
城下の笠原水道、山寺水道の建設、用水では常陸
地方でも屈指の小場、辰ノ口、岩崎三大江堰の完
成などが注目される。
なお、永田家は分家して二家に分かれ、代々水戸
藩の水守役として主要な江堰沼池等の管理にあ
たってきた。
常陸太田市