ocr-generated http://www.takonomatu.jp(踏の松の解説)
江戸時代、中之島には諸藩
の蔵屋敷が建ち並び、屋敷前
には各藩自慢の松が植えられ
ていました。人々は屋敷の自
壁と川の流れに映る松の景色
を楽しんだといわれています。
なかでも、堂島川のほとり
の久留米藩と広島藩の境の浜
の松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿
神宗所蔵『久留米藩大阪蔵屋敷絵図』より
に似ていることから「踊の松」
と呼ばれる名木でした。月の
夕べや雪の朝の眺めはとりわ
け美しく、絶賛されました。
江戸時代の「踊の松」は、
地図に示す対岸にありまし
た。明治維新後は、大阪府
師範学校附属演習小学校
(現大阪教育大学附属天王寺
小学校)が大阪久留米藩蔵屋
敷跡地に開校し、その同窓
会は、この地の松に因んで
「離松会」と名付けられま
した。
その後、「踊の松」は次第
に樹勢が衰え、明治時代も
終わるころ、枯死してしま
いました。その切り株は現
在、大阪教育大学に大切に
「大森市立科学
大感式
中之
保存されています。
このたび護岸の美化にあ
わせ、かつての風趣を偲ん
で、「踊の松」をこの地に
再現しました。
国立国間ま書庫
『新
中央図書館所蔵『改正増補国宝大阪全図』より
平成十六年
雛松会
蛸の松 |
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