ocr-generated ヒう
寝起不動尊縁起
当山の寝起不動阿夫は、むか
し水戸城内慈法院に怒られてあ
りましたが、元亀(五七ャ~(Kモ之の
頃、横忘和尚が明王の示現によ
って、尊像を背負い秋に従って
行雲流水の旅立たれた。然し
和尚は老弱であり日毎に衰弱が
ひどく、当地に辿りつくと足も
動かなくなり、死ぬ苦しみで、
「夜が明けようとする時、
が枕辺に現れて中すには「この
地こそ我が高度化縁の地なり、
人々の病難誘難を救って無堂の
徳を与えよう」と和尚は寝起
され、忍わず尊像をお拝すると
疲労と痛が一時に消えて秋も使
わずに立ち上がれたという。そ
こで人々は寝越不動尊と呼んで
、分難消滅、の巻生来を称願し
てお受を走くて尊像をお怒りし
たといわれる。それ以後(+ミ
年を「却として細那帳祈願が行
われている。現在のお受は進学
二年(一七五)に建てられたもの
です。