Monumento

kawa_sanpo

2015/06/28

Tags: ocr-generated 栃木県 野木町

Guide plate text

This content was transcribed by optical character recognition. Please cooperate with proofreading.

ocr-generated 友沼八幡神社「将軍御休所跡」
元和二年(一六一六)、徳川家康が没すると、これを駿河の久能山にいったん辞ったが、
翌三年の一周忌に久能山から日光へ改葬した。
「東照大権現社が完成すると、将軍秀忠は日光雄(社外)のため、四月十二日に江戸を出
発している。さらに寛永十三年(一六三六)に東照宮が完成すると、徳川家最大の廟所とし
で将軍はじめ諸大名、武家や公家、さらに庶民にいたるまで謝するようになった。
将軍の秋象は、秀忠の第一回社をはじめとして、天保十四年(一八四三)の十二代将軍
家慶の私象まで「九回に及んだ。寛永十三年四月、遷宮後の第十一回社参から行列の規模
も拡大された。
君の行程は四月十三日に江戸を出発し、岩槻・古河・宇都宮で各一泊、十六日に日光
に入り、十八日には帰途につく。復路もやはり三泊四日で帰るのが恒例となった。それど
どもに昼食・休憩の宿や寺社なども決まり、大沢宿(現今市市)のようにそのための御殿が
建てられた例もあった。
友沼の将軍御休所は、将軍が江戸を出発し、二泊めになる古河城を朝出て、最初に小
休止をした場所で、八幡神社の境内にあった。次は小金井の慈眼寺で昼食をとり、石橋へ
という道順をとった。
ところで、近世における八幡神社は「日光道中略記」によると、別当法音寺の支配下にあ
った。野木村の野木神社の場合、元和二年(一六一六)に別当満願寺の支配がはじまるから、
八幡神社も早くはほぼこの時期かと思われるが、小肩から拝殿・本殿をそなえた神社に整
備されたのは、私象の規模が拡大する寛永十三年以降のようである。将軍御休所の建物は
境内にあり、西運庵と呼ばれた。日光社参ど八幡神社の整備が深くかかわっているとすれ
ば運西庵の成立もこの時期かもしれない。なお文化期(一八〇四~一七)の宿駅のようすを
描いたといわれる「日光道中分間延絵図」では運西庵となっている。
八幡神社からの眺めはすばらしく、「日光道中略記』では、はるかに丸林村、酒島村の林
が、さらに遠方には若林村の森が見え、正面には筑波山を眺望できる景勝の地と記されて
肥前国平戸藩主松浦静山は寛政十一年(一
七九九)八月、四十才のとき」、日光参詣の途
中、友沼の「石の沖門建てたる八幡の神祠の
まえにしばし輿をどめ」、休憩している。
天保十四年(一八四)四月、『続徳川実紀」
によると、「二代将軍家慶の社会では、享保
(第十七回)、安永(十八回)の社象では設けな
かった幕張りが小休止の場所まで行われた。
いる。
(『日光道中略記』より)


友沼の御休所でも幕が張られ、一行は疲れを
いやしたとある。
平成三年三月二十五日
野木町教育委員会

Texts

monumento
2018-03-28 13:15 (0)
monumento

Comments/Photos

Footprints

0 footprints lefted here.

Embed tag

Guide plate Tour

Spots near

kawa_sanpo (2015/06/28)
Tags: ocr-generated 栃木県 野木町
kawa_sanpo (2015/06/28)
Tags: ocr-generated 栃木県 野木町
kawa_sanpo (2015/06/28)
Tags: 大日如来 1709 渡部久兵衛 小山市教育委員会 栃木県 小山市
kawa_sanpo (2015/07/05)
Tags: ocr-generated 栃木県 小山市