ocr-generated 埼玉県指定史跡
蒲生の一里塚
昭和六十年三月五日指定
一里塚は、江戸時代街道沿いに一里ごとに設置された塚で、豚の
上にエノキ・マツ・スギなどを植えて、道程の目標や人馬賃銭の計
量の目安に、また旅人の休息の場などに用いられたものである。
文化年間(一八o四~一八一八)幕府が編さんした「五街道分間延
絵図」には、綾瀬川と出羽堀が合流する地点に、日光街道をはさん
で二つの小山が描かれ、愛宕社と石地蔵の文字が記されていて、「蒲
生の一里塚」が街道の東西に一基づつ設けられていたことが分かる。
現在は、高さはニメートル、東西幅五・七メートル、南北幅七・ハ
メートルの東側の一基だけが、絵図に描かれた位置に残っている。
また、塚の上にはムク
エノキの古木・太さ・
五メートルのケヤキのほ
か、マツ・イチョウが生
い茂っている。
多くの塚が交通機関の
発達や道路の拡幅などに
よって姿を消した中に
あって、『蒲生の一里塚」
は埼玉県内日光街道筋に
現存する唯一の一里塚で
ある。
昭和六十一年十月
埼玉県教育委員会
越谷市教育委員会
植竹 誠一郎