ocr-generated しんじゅうよいごうしん
2中育戻中の歴史と由来
江戶時代淨瑠璃作家近松門左衛門(三-七二四)
晩年の代表作2中百庚申は子保2年(11) 8月
六日未明大阪で実在した心中事件を素材に行き
上げられた。物語は上田村現在の精華町植田)の大庄屋
島田平右衛門の二女お千代が大阪契うつぼ)の八百屋
伊右衛門の養子半兵衛と夫婦になるが嫁ぎ先の
結と合わす離縁を言い渡される。
義母への孝行と妻の愛情との板ばさみになった半兵衛
は帝釈天の縁日でにぎわう庚申前夜大阪生国
神社の境内で身重のお代と夫婦に中を選ぶ。
父、平る衛門は娘夫婦の非業の死を悼み提寺で
あるこの来迎寺の境内に墓石を建立し、、永代
供養を行った。
お堂内の墓石は、初代の享保時代のもので、
後の墓石は安政四年に建立された二代目の
墓石である。
こうげっやうしんしんし
通月融心信士(半兵衛)
りしんどうじ、
離身童子(五ヶ月の嬰児)
せいおう ていげんしんによ
声応真現信女(お千代)
来迎寺護持会
第五世恭空代
「心中宵庚申」の歴史と由来 |