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鏡神社小誌

kochizufan

2015/05/02

Tags: ocr-generated 奈良県 奈良市

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ocr-generated 鏡神社小誌
鎮座地

御祭神
奈良市高畑町四六八番地(現在高畑福井町)
社伝に、道唐使派遣の祈薄所たりし当地に、平城天皇御宇大同元年(西紀八〇六年)新薬師寺鎮守と
して奉祝せられしと謂ふ。
本社 天照皇大神
藤原広嗣 公
地主神
別社 延喜式内 赤穂神社 天児屋根命 比賣神(高畑町一三三〇番地)
末社 天 神 社
大田天神 本社内
末社 祖霊社 歴代の氏子内功労者を祀る
昭和三十六年十月創礼 境内
末社 天満宮 菅原道真公・市寸嶋姫命 赤穂神社内
攝社 此賣神社 十市皇女・市寸嶋姫命 昭和五十六年五月九日鎮座
御由緒
桜花を娘子に贈りて
この花の一艦のうちに百種の言で籠れる おほろかにすな万葉集巻八一四五六
一枝の桜に万軒の思ひを籠めて贈られた、若き日の広嗣公の歌。純清真率の情溢れるばかりで、万葉
集中に於ける優作である。
藤原広嗣公は、式部卿左大臣宇合の長子で、母は右大臣石川麻呂の女であった。幼きより文武の才に
秀で、管絃歌舞の道・天文陰陽の技に精しく、五異七能の才と謂されたが、従五位大倭守を経て右近
衛少尉に上り、天平十年大宰少弐に任ぜられた。この頃、僧玄防・吉備真備の両人唐より帰朝して寵
遇を蒙りてより時勢を得、特に玄防は非行多く、僧にあるまじき所行が多かった。公の純清・剛直の
性は之を黙視し得ず、同十二年上表して時弊を指摘し、君側の好を退けられんことを乞うたが、上表
後七日にして思ひもかけず官軍の攻撃を受けるところとなった。同年九月、已むなく兵を集めて遠賀
郡に軍営を構へ、之を防がんとせられた。大野東人の率いる官軍に対して、筑後板橋河に戦ひ、肥前
長野村に於て囚る、所となり、本意なくも逆人の汚名を蒙って、未だ至らざるに非業にして松浦郡
につみなはれ給うた。その抗戦些かも戦意なく、義志遂に完うせられることなく、その後、公が怨霊
の祟り腰々であったと謂ふ。
公が憂慮の通り、僧玄防は非行募り、勅勘を蒙って天平十七年筑紫に配せられ、偶々観世音寺落成の
式に臨むや急死を遂げ了った。世人は之を広嗣公の祟りの故とした。真備も赤、孝謙帝の御宇肥前に
左遷せられるに際し、鏡尊廟を建て、義しき公の威霊を祀り、後世鏡宮・板橋社と称せられて、永
く松浦明神三座の一として崇められたのである。
広嗣公の憤死以来、霊神信仰漸く世に顕れ、井上内親王・火雷天神・吉備内親王・他戸親王・早良親
王などと共に、公も赤平安京の上下御霊社に鎮斎せられたのは著聞の事であり、八所御霊即ち之であ
る。公の威霊を祀った社は、もと頭塔山の附近福智院(平城清水寺)の境内に玄防の弟子報恩により
崇められ、その創建は天平年間であった。玄防首塚の伝へ及び吉備塚(旧聯隊内)俊寛塚などの遺跡
が近傍に在り、公の威霊激烈なることは、かの頭塔伝説に於いて、玄防筑紫に急死するやその遺麻奈
良の地に飛散して興福寺境内に落ち、首は頭塔山に、腕は肘塚町に、眉と眼とは大豆山町に飛来した
との口碑が伝へられてゐる。之は、広嗣信仰が背後にあったが故である。
これらの史伝によって、古代の清烈剛毅なる至情徹らざりし叙事詩的な公の非痛の生涯が想はれる。
現社地は、公の邸宅址とする伝へもあり、天平時代後期新薬師寺復興の際、その鎮守神としてここに
勧請せられた如くであり、末社火雷天神は、不空院(福井の大師)境内にその御陵(御霊?)がある
のを配祀したものと思はれる。その後里人この二神の清純凛烈たる威霊を氏神と仰ぎ崇めて久しく、
茲に壱千百五十余年を奉斎し来たった。
本殿は、代々春日社々殿を下賜せられて今日に至り、現本殿は延享三年(一七四六年)第四十六次御
造営の際に、第三殿を賜ったものである。(奈良市指定文化財)
社殿
御神像」



祝 遺

木彫一尺五寸。天平十年、広嗣公大宰府にて御自作肖像を平城に送られたものを、夫人これを奉祀せ
られたものと伝えてみる。
昭和三十五年五月、山本八郎・大道弘雄・深見重助・荒木伊助氏ら、篤信者の寄進による。
比賣塚 境内にあり。寺島富郷・キヨコ御夫妻の義志により比賣神社を建立・寄進せらる。
春日若宮神宜家の祖梅木末春の一系が仕へ、併せて四十三代に亘って奉仕し来たり明治維新に至る。
桓武天皇御宇延暦二十三年、弘法大師入唐して帰朝の時、松浦明神の加護により風波が静まったので
感銘した大師は大同元年帰朝の時山階寺(興福寺)の庭中に松浦明神を奉斎し鏡大明神と号したと謂
ふ。(元要記)
永禄年間、春日社回禄(火災)の時、第一殿の御神肺当社に奉遷せられたとのこと。
(社記)


引吐式内赤德申社

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2018-03-28 13:27 (0)
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