Monumento

kawa_sanpo

2015/04/26

Tags: ocr-generated 千葉県 市川市

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ocr-generated こうのだいじょう あと
「国府台 城跡
「鎌倉大草紙」によれば、文明一〇年(一四七八)に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が「下総国国府台」に陣取り、夜の陣城を
かまえたとあり、これが国府台城のはじまりであるとする説がある。道灌は武蔵にいた千葉自胤を助け、敵対する千葉孝胤と戦うた
めにここに陣取り、境根原(柏市)に出陣し、孝胤を破っている。
これより以前の康正二年(一四 五六)、千葉自嵐は兄の実胤とともに「市川城」に立てこもり足利成氏方に抵抗していたが、楽田
出羽守らにより城を落とされ、武蔵石浜(台東区)に逃れていた。この「市川城」と太田道灌の夜の陣城との関係が注目されるが、
同じものなのかどうかは不明である。
「国府台は標高二〇~二五常の下総台地の西のはしで、江戸川に平行して南へ張り出した大きなも状の丘陵であり、現在の里
見公園のなかに土塁状の城郭遺構が現存している。そして公園の北に向かっても城郭の遺構らしきものが確認される。
公園内の遺構は破壊が激しく、築城の時期を想定することは難しいが、太田道灌の時代よりは後の時代に属する、とする推測も
ある。
この地は、その後天文と永様の二度にわたり、小田原の戦国大名北条氏と安房の里見氏らにより行なわれた合戦、いわゆる国
天文と年(一五ニハ)の合戦は、北条氏綱と小弓公方足利義明・里見義堯らが戦ったもので、小号(千葉市)に拠を定めた義明と北条家が担ぐ本家筋の古河公方家との戦い
府台合戦の舞台となっている。
である。これに対して水様を年(一五六四)の戦いは、着々と東国に動権を確立せんとしていた北条氏康と、これに抵抗する
里見義の義弘らの戦いであった(前年の水様六年にも合乳があったとする説もある)。
水様の合戦の誌果、北条軍は圧勝し、里見方は当方である正木氏の一族など多くの死者を出し安房に敗走する。現在
の属糸台城跡は、この合戦のなかで激突する両軍の今季の場となり、戦後、北条氏の手により規模が拡大強化され、初期
のものから戦国期の撮影に進化した、とする説もある。
現在の会圏内には、エ戸時代になって作られた里見事の軌電のための供養塔がたてられている。
この地はその後、史見八景園という造園地の敷地となり、その後は陸軍軍用地となり、終戦を迎えている。

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2018-03-28 13:29 (0)
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