Monumento

kawa_sanpo

2015/04/26

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西川
史跡 国府台の戦争
今から約四00年前、この国府台で二度の大戦争があった。
それそれ敵味方千人以上の戦死者がここに死がばねをさらした。
の真間山から松戸駅東側の台地までを国府台といい、第一回
戦争は、天文七年(一五三八)十月七日、相模台の合戦とも
いい、これを前の国府台合戦という。第二回はこれより二十五
年後永禄七年(一五六四)正月七日の合戦でこれを後の国府台
合戦という。それはここ矢切台で戦われた。
合戦の背景
この時代の関東地方はだいたい小田原の北条氏の勢力下にあ
り、松戸大谷口城主高城氏や、千葉氏、原氏などもその支配下
にあった。これに対して安房上総地方を侵略して勢力を拡大し
見氏は、県
北の下
総地方へも手を伸ばして千葉、原、高城
攻め、やが て北条氏をも破って関東の実権を握ろうと野望
をいだいて茨城の佐竹氏を通して上杉謙信とも手を結んだ。
合戦のもよう
矢切側には里見義弘を大将として八千騎、これに対して江戸
柴又、小岩側に北条側は、江戸城代家老遠山丹波守直景と葛
西の富永三郎右衛門尉を先陣として着陣した。
この時、小金大谷口城主高城氏も北条方に加勢のため、下矢
切大堀外(今の矢切神社東側)に陣を張り、遠山軍を助けた。
遠山、富永等は大将北条氏康、氏政父子の到着を待たず、矢
切の渡しを押し渡り、国府台から栗山、矢切へかけての里見軍
攻め寄せた。
遠山軍に押された里見軍は、いったん退却するかに見せかけ
たが、勢いにのった遠山軍が大坂の途中まで攻め登った所を、一
に坂上から攻め落とした。北条方の勇将富永三郎右衛門尉は、
朝からジュンサイ池附近から大堀へかけて馬を縦横に馳せて奮
戦したが、大坂上で落馬した所を折り重なって里見方に首を渡
した。その場所は、ここ文学碑わきの坂道であった。
又、遠山丹波守は、この坂下坂川の手前「カイカバ曲り目の
内野」という所で、里見方の里見山之介という十六才の少年に
その首を打たれた。
この日の戦いは北条方の敗北で、柴又陣に引き退いたが、こ
勝の酒に酔いしれた里見軍の将兵は、北条氏の大軍
にはさみ打たれ、 さんざんの大敗戦となり、大将里見義弘は市
川の須和田から中山をへて安房に逃れたが、その後再起するこ
江戶城主
とはなかった。
亥正月
本土寺過去帳に「コウノ台ニテ上下諸人 遠山殿
其外千余人」と記されている。
南無・・・。
昭和四十五年 正月 撰文 奥山儀八郎
「矢切地区風致保存会
挙たへ

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2018-03-28 13:29 (0)
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