ocr-generated 田中正造と保木間の誓い
一八九〇年代に発生した足尾銅山鉱毒事件は近代
史上で特筆される公害事件である。一九九八年(明
ムロ三一)九月群馬県邑楽郡・栃木県安蘇郡等の被害
住民三○○○人が鉱母被害を訴えるため上京した。
彼は問題に取り組んだ田中正造(当時衆議院議員)
は、同年九月二十八日、上京する被害住民とここ保
木問氷川神社で出会い、鉱毒問題の解決に努力する
レ」いう演説を行い、被害住民を帰郷に導いた。この
時被害住民たちは涙して演説を聞いたといい、これ
を保木間の北言いという。
当時東京府南足立郡渕江村だったこの地では、村
長坂田正助と村会議員が、上京途中憲兵や騎馬警官
による阻止・排除を受けた被害住民に、炊き出しを
行って出迎え、被害住民と共に正造の演説を聞いた
(「田中正造日記」。こうした被害住民への支援は別
江村の人々と被害住民の農民同士の連帯感によって
支えられていたという。
平成十年九月
東京都足立区教育委員会