Monumento

kawa_sanpo

2015/03/21

Tags: ocr-generated 埼玉県 久喜市

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ocr-generated 久喜市指定文化財
静御前の墓
昭和8年3月8日指定
礎は
禅定
にん あん
ひとり すめ
師の一人娘と して仁安3
しらびょうし
せいちょう
じえいえん
きょうしん え えんまい め
あめ
こば じょうこうしずか
たぐいまれないのうしょう
まい きぬたまわ
ろも
はじ
ころ
おうしゅうめいずみ
しずかにん
静御前は
1168)
に生れたといわれ、白拍子と呼ばれる美しい舞姫に成長いた
しました。
干ばつが3年も続き、加えてその年も長い日照りで農民が大変に困っておりました。
そこで、後鳥羽上皇が寿永元年(1182)、京都神泉苑に舞姫100人を選び、「雨
といの舞」を命ぜられました。最後に静が舞い始めると空がにわかに曇り、激しく雨
が降り出し3日3晩も降り続いたといいます。後鳥羽上皇は、静が5才でありながら
類稀な才能を賞嘆され、褒美に「蝦猿龍」の錦の舞衣を賜りました。この衣は現在、
古河市中田町の光了寺に保存されております。
平氏追討に功績のあった義経の寵愛を受けた静が初めて義経に出会ったのもその頃
のことでした。その後、義経は兄頼朝の不興を蒙り、奥州平泉の藤原氏を頼って京都
を落ちのびました。静は義経を慕って京都を発ち、平泉へ向かいましたが、途中の下
総国下辺見付近で「義経討死」の報を耳にして悲しみにくれ、仏門に入り義経の菩提
を用いたいと再び京都へ戻ろうとしました。しかし、重なる悲しみと馴れぬ長旅の疲
を用
れぬ長
れから病気となり、文治5年(1189) 9月5日、この地で死去したと伝えられてい
ます。
侍女琴柱がこの地にあった高柳寺に遺骸を葬りましたが、墓のしるしの無いのを哀
れみ、享和3年(1803)5月、関東郡代中川飛騨守忠英が「静女之墳」の墓碑を建
立したものと考えられています。また、境内にある「舞ふ蝶の果てや夢みる 塚の
蔭」という歌碑は、江戸の歌人坐泉の作を村人が文化3年(1806) 3月に建立し
たものであります。 公式には、静御前の生没年は、はっきりしていません。ここに記されている内容は当地の伝承をもとにしています。
久喜市教育委員会
静御前遺跡保存会
いのに
はい
よしつねうちに
うきのくに もへん
! つね
むら
つた
かったうん だいなないだのかみ ただ ひで
しず じょ

はか」

Texts

monumento
2018-03-28 15:35 (0)
monumento

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