ocr-generated 市指定有形民俗文化財 昭和五十二年(
一九七七四月十三日指定
寛文七年 庚申供養塔
総高 一三〇移安山岩製
この石造物群の中で、中央の一番大きな石塔は寛文七年(一八六七)に
造立された庚申供養塔です。
基台に三匹の猿が正面向きにすわり、両手で目・耳・口をおおって
います。この「見ざる・聞かざる・言わざる」はどれもやや長身で、
丸彫りに近く彫り出されており、基台も同じ一石から造り出されてい
ます。三猿像は庚申の申が猿と通じるので祀られているものです。
また、頂部左右に日と月が彫刻され、塔身部に左記の造立年記が、
基台前面に三橋次左衛門ら十五名の造立者名が陰刻されています。
寛文七年七年
十一月二十日
この刻銘の日は、十干・十二支を組み合わせた暦法で六十日ごとに
巡ってくる庚申の日でした。庚申の夜に三戸という虫が睡眠中に身体
から抜け出して天帝にその人の罪を告げるので命を奪われる、という
道教の説があります。かつてこの信仰に基づいて信者が講という団体
をつくり、庚申の夜は眠らずに過ごして無病息災を願う風習がありま
した。江戸時代に全国的に広まり、昭和の頃までは続いていました。
この十五名の人たちは庚申講の構成員で、おそらく彼らも夜明かしを
したのでしょう。この石塔はその時の記念に建てられたものです。
平成二十年(100八三月
藤沢市教育委員会