三宅速博士墓碑
1866年(慶応2年)~1945年(昭和20年)
大正11年(1922年)国際外科学会に日本代表として参
加し欧米各国の視察旅行から帰国する三宅速博士(当時55歳
)が日本の雑誌社改造社の招きで講演のため来日する世界的理
論物理学者として名声を馳せているアインシュタイン 博士(当
時43歳)とフランスのマルセイユから神戸に向かう日本郵船
北野丸に乗り合わせ、船内で発病したアインシュタイン博士を
三宅博士が治療したのが機縁となり、二人の間に友愛関係が始
まり終生変わることがなかった。その後三宅博士は昭和20年
(1945年)6月29日米軍機の岡山市街の空襲によって、
長男博氏宅の防空壕内で三保夫人と共に没した。時に78歳
戦後の昭和29年(1954年)三宅夫妻の墓の建立を聞き及
んだアインシュタイン博士は友人の死を悼み心をこめて自筆の
追悼文を寄せた。
この碑文はアインシュタイン博士の直筆の追悼文をそのまま
拡大したものである。