ハヶ村用水由来碑
八ヶ村用水は、明治9年(1876)の取水位置の変更により廃止された御用水の上流部の水路と郷合川の水源を併せて、川村、牛牧、大森垣外、大水寺、金屋坊、守山、幸心、瀬古の8村の灌漑を受け持つ水路となった。
八ヶ村用水という名称は、ここに由来するといわれる。
昭和25年(1950)8月、庄内川の大規模な出水により、壊滅的な被害を受けた堰堤と導水路は、地元民や関係当局の勢力により、幾多の難関を越え、4年後に竣工した。
現在も、農業用水として利用されているこの用水路は、さらに親しまれる水路として改修され、今後も流れ続けるであろう。
平成6年3月
名古屋市